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娘、ごめんね。

高校2年の娘が

起立性調節障害の酷かった中学時代の事を話してくれました。


娘は、社交的な方ではないけれど


友達が好きで

先生が好きで


学校に行きたがっていたけど


今になって

当時の不満を口にするようになったんです。


学校の、病気への理解が足りないことで

悲しかったり、きつかったりということがあったらしい。


先生に意見する体力も気力もなかったんだって。


先生たちが良くしてくれることも分かってたから

なおさら、自分のわがままのように感じて不満が言えなかったんだろうなぁ。



話を聞きながら思ったのが


私、もっと病気のことを調べておけば良かった。

学校ともっとよく話し合っておけば良かった。


治療法がないと知った時

心配しても、悩んでのも、泣いても、怒っても、

この病気はすぐには治らないから、待つしかないって思って


この病気の子供が


どんなことを感じてるとか

何を望んでるとか

どんな風に過ごしたいとか


そこが抜けてた。


『治る』という、遠くにあるゴールだけを眺めてて

『どう過ごす』っていう、今を見てなかった。


娘の心に寄り添うことが、できてなかった。


心のどっかで、先生に対して


要望ばっかり言ってたら、面倒な保護者って思わない?

言っても受け入れてもらえなかったら、ショックじゃない?


そんな気持ちがあった。


良い親に思われたい。

傷つきたくない。


その気持ちに気づかないふりしてた。


娘からしたら

先生の味方ばっかりしているように見えたよね。


ごめんね。


その気持ちを娘に伝えると


娘、ちょっと涙ぐんでた。

私も、鼻の奥がツンとしちゃった。




もうちょっと、娘の話、続きます。





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